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この頃のフジは神だったな。実現、実行出来たのは凄かった。
仮に金があっても、こんなことやろうなんて思わないよね。こんな情熱が今のTV局にあるんだろうか
すごいなー、日本の発行紙幣でアメリカの全てが買えるほど円が強く不可能な事が無かった時代。これこそ本物のバブル企画。
国鉄では出来なかった。かといって完全民間鉄道会社でも出来なかった。それがこのオリエント急行の日本迄の運行と思う。ユーラシア大陸横断運行を成し遂げる事も一大事業だが、本来欧州各国の鉄道を走る車輌を日本で運行出来る様に各種改装や建築限界の調整や運行規定の特例措置等etc……。民間会社になりながらも、国鉄の協調性をまだ保って居た時期だからこそ出来たと思う。今のJRでは良くも悪くも独立してしまい、この様な在来線での長距離企画列車は望めないだろう。
SL牽引、当時十条-赤羽間の埼京線が合流する場所で見ました。生まれて初めて映像ではない本当のSLの汽笛とドラフト音に高揚しました。オリエントエクスプレスは品川に初めて来た日から、何度も見ました。上野駅に出発直前に2回ほど身に行ったこともあります。ですが最終日は私も見たことのないSLの日、沿道にはファンだけじゃなく多くの一般の方もいらっしゃいました。同じ年の3月、北斗星運行初日の上野駅にもいました。夢空間も見ました。カシオペアも見ました。四季島も見ましたが、オリエントエクスプレスが一番です。設備接遇は四季島が上かと思いますが、豪華さは足元にも及びません。SL運行の翌日、EF58単機で戻ってくるオリエントにも遭遇しました。前日の沿線とは打って変って誰もいない、バイト前に恐らく来るだろうと思って線路沿いをチャリで走ってて遭遇しました。これから2週間も経たぬうちに昭和が終わり、バブルという夢のような時間は過ぎ去りました……内装
今11月、大分時間が経ってから見ています。日本はすごい国だったのだなと今更ながら気がついています。私は今80才、明治以来の素晴らしい戦前の歴史を思い、年金、健康保険を利用しながらこれ以上の幸せはないと思いながら生きています。私達の優れた先輩、有難う。
この番組に出ている方以外にも裏方で支えたスタッフが多数いました。因みに自分の叔父もその一人です。
東側諸国(ソ連、東ドイツ)の協力が得られるなんて、改革が進んでいるのだなと思いましたね。まさか数年後に国そのものが無くなるとまでは想像がつきませんでしたが。。。
1988年(昭和63年)でしたね~あの頃は バブル期で景気が云々言われてましたが…それだけ出なく日本人に凄い気力パワーと自信に満ちて…良い意味で日本らしい大らかさと繊細さがありました。技術屋もテレビ屋も自信を誇りに……そういう意味で生きやすい世の中でした。今の日本は…企業だけで無く、家庭も、教育も、行政も…国会議員達も 机上の計算のみ重視されて一番大切な『日本人らしい心』?…等々何かを見失ってしまった 神経質になりすぎて国民は真綿で首を絞められてるかのような生きにくい世の中になってしまいました…金銭面でなく、日本人としての人間性が閉塞感…いや!腑抜けになっているような……バブル崩壊が悪とはされてますが…そんな問題ではない…年々何かを失ってきてます…再び大らかで、住みやすい生きやすい日本は来るのでしょうか……昭和63年 1988年…良い時代でしたね…
まぁ、俺が国を動かすとなれば…、バブル期と言うよりも今よりも活気があった黄金の20世紀を取り戻す事だ…。今の21世紀には汚い金と燃えないゴミによって塗れてしまっている…。これが本当の21世紀なのだろうか…。 おっと、不謹慎な事を述べてすみませんでした…。
この特番は、VHSに保存してある。
すべて観させていただきました!貴重な映像、ありがとうございます!JR東日本大宮総合車両センターの方々、ホント素晴らしいです。オリエントエクスプレスの台車づくり、D51-498の復活作業、更にはこの当時は、C58-363の復活作業と、3つの大仕事を同時進行でやってた匠たちには、頭が上がりません…。そのほか、関係者の皆様、素晴らしいです!!!!21世紀のこの今、再びこういうことができれば、日本も活気が溢れるでしょうね。
皆様コメントありがとうございます。1988年が本当に懐かしく思えますね。自分は当時学生でしたが、夢のある時代だったような気がします。その中でもオリエント来日は自分的にはビッグイベントでしたね。バブル時代とはいえ、オリエントを日本国内で走らせるというのは、大変な苦労だっただろうと想像します。TVで紹介された方だけでなく、携わった全ての方に改めて御礼を申しあげたいです。ところで番組に出演されている当時JR東日本副社長の山之内さんですが、何年か前に自分が北海道鉄道旅行をしている最中、自分の前の席の方が新聞広げていたのですが、その記事の中に山之内さんが死去された記事が載っていて、大変残念に思いました。列車に揺られながらこの番組の事を思い出し、ご冥福をお祈りしました。今お元気だったら、このような方がJR北海道の社長になってくれれば、”鉄道屋の直感と信念”で建て直してくれそうな気がするんですよね・・・。皆様コメントありがとうございます!!
このデゴイチ、今も現役でバリバリ走っていますね。
東側の国を通ってくるんだから凄い
ちなみにヨンキュッパの補機を勤めたロクイチは上野駅出発時では力行せず、文字通りヨンキュッパの力のみであの化け物じみた重量を引っ張り出したとか····
私もそう聞きました。スゴいッスね!
@@やすきち まぁ界隈では割と有名な逸話だし、正にヨンキュッパの花道を飾る名エピソードだしねぇ···
旅立ちはフリージア日本の鉄道史において、今後もこれ以上の物は、もう無い。
D51498、日本代表の蒸気機関車としてオリエント急行を牽引したんだよなぁ。
懐かしく見させて頂きました。EndingのD51、蕨で見ましたが上野~大宮間、沿線はファンとD51復活を見に来られた方、地域住民の方、Orient Exoressを見ようとする方で埋め尽くされていました。跨線橋の両端、駅ホームの両端、沿線両端全て”人人人”でした。多分こんなお祭り状態、今でも無いと思います。Orient Expressと共に、昭和も過ぎ去りました。
Kara Futo様、コメントありがとうございます。そうですか、生で見られたんですね。うらやましい・・・本当に現在は夢もない時代になってしまいましたね。(おおげさかな?)さてご存知かと思いますが、日本を走ったオリエントの一員であるプルマン車(白い車両)が、箱根に帰ってきてます。私も2度観に行きまして、車内でお茶お菓子を頂きました。感激しました。オリエント好きで、ラリック美術館に行った事ない方は是非どうぞ。
このプロジェクトには当時ものすごい興奮したんだけど今ではあんまり語られることがないよね。今なら絶対できないことなのに。もっと注目されてもいいはずだよね。それにしても八木アナは当時20代前半なのにうまいね。
コメントありがとうございます。本当に夢のような出来事でした…。八木さん、今でも大好きです♥️
もし準備に遅れが出て実施が翌年に延期となった場合、この企画は幻になっていた可能性は高い。なぜならシベリアに遅い春が到来し、特別列車の通過が可能な季節になった頃には、中国で民主化運動が勃発していた。5月には首都北京に戒厳令が発令され、やがて悲劇的な天安門事件が発生。西側各国が中国政府の措置に対し強く非難したことも加わった事で、とてもでないが列車の中国通過許可が出る情勢ではなくなっていた。で、西欧各国と中国との関係が改善した頃には、日本はバブル景気が崩壊しており、スポンサーなどの確保は最早困難だったと思われる。1988年だから実現できたとしか言いようなない。
昔この番組録画してテープが擦りきれる程観てた‼️ 懐かしい🎵( ´∀`)今ではヨンキュッパの復活を描いた非常に貴重な記録でしょう🎵 ありがとう‼️
5:36 D51498号機は、上越線の後閑駅構内で保存されていましたね。
補機もお召し牽引のEF58
テレビ屋の直感と信念で持ちかけた沼田さんに対して、鉄道屋の直感と信念で一旦はね返した山之内副社長w
11:49498号機はまたこの形に戻して運転してくれても良いと思います。(形式入りプレート・スノープラウ無し・赤色のピストン)
かっこいいですよね。私も好きな姿です。
EF58のロイヤルエンジンもいる!!
EF58のロイヤルエンジンは現在埼玉県の鉄道博物館に展示されています。
ELELを補機に使うことなくC62の単機でやってほしかったですね。パワーに不足はなかったはずです。
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス(NIOE)が日本に来たことを記念して、今でも日本語表記類が残ってるらしいですよ!
ありがとうございます。そのようですね!ただ、箱根ラリック美術館のプルマンは、表記が消されてました…(^_^;)
土居まさる!最高だよね
ですね。名司会者だと思います。ヒントでピントとか・・・懐かしい・・・
爺さんたちが自慢だらけでこんな事したらアカンとか煩かったでしょう!若い方の胸中お察しします。
この頃のフジは神だったな。実現、実行出来たのは凄かった。
仮に金があっても、こんなことやろうなんて思わないよね。こんな情熱が今のTV局にあるんだろうか
すごいなー、日本の発行紙幣でアメリカの全てが買えるほど円が強く
不可能な事が無かった時代。これこそ本物のバブル企画。
国鉄では出来なかった。かといって完全民間鉄道会社でも出来なかった。それがこのオリエント急行の日本迄の運行と思う。ユーラシア大陸横断運行を成し遂げる事も一大事業だが、本来欧州各国の鉄道を走る車輌を日本で運行出来る様に各種改装や建築限界の調整や運行規定の特例措置等etc……。民間会社になりながらも、国鉄の協調性をまだ保って居た時期だからこそ出来たと思う。今のJRでは良くも悪くも独立してしまい、この様な在来線での長距離企画列車は望めないだろう。
SL牽引、当時十条-赤羽間の埼京線が合流する場所で見ました。生まれて初めて映像ではない本当のSLの汽笛とドラフト音に高揚しました。オリエントエクスプレスは品川に初めて来た日から、何度も見ました。上野駅に出発直前に2回ほど身に行ったこともあります。ですが最終日は私も見たことのないSLの日、沿道にはファンだけじゃなく多くの一般の方もいらっしゃいました。同じ年の3月、北斗星運行初日の上野駅にもいました。夢空間も見ました。カシオペアも見ました。四季島も見ましたが、オリエントエクスプレスが一番です。設備接遇は四季島が上かと思いますが、豪華さは足元にも及びません。SL運行の翌日、EF58単機で戻ってくるオリエントにも遭遇しました。前日の沿線とは打って変って誰もいない、バイト前に恐らく来るだろうと思って線路沿いをチャリで走ってて遭遇しました。これから2週間も経たぬうちに昭和が終わり、バブルという夢のような時間は過ぎ去りました……内装
今11月、大分時間が経ってから見ています。日本はすごい国だったのだなと今更ながら気がついています。私は今80才、明治以来の素晴らしい戦前の歴史を思い、年金、健康保険を利用しながらこれ以上の幸せはないと思いながら生きています。私達の優れた先輩、有難う。
この番組に出ている方以外にも裏方で支えたスタッフが多数いました。因みに自分の叔父もその一人です。
東側諸国(ソ連、東ドイツ)の協力が得られるなんて、改革が進んでいる
のだなと思いましたね。
まさか数年後に国そのものが無くなるとまでは想像がつきませんでしたが。。。
1988年(昭和63年)でしたね~あの頃は バブル期で景気が云々言われてましたが…それだけ出なく日本人に凄い気力パワーと自信に満ちて…良い意味で日本らしい大らかさと繊細さがありました。技術屋もテレビ屋も自信を誇りに……そういう意味で生きやすい世の中でした。今の日本は…企業だけで無く、家庭も、教育も、行政も…国会議員達も 机上の計算のみ重視されて一番大切な『日本人らしい心』?…等々何かを見失ってしまった 神経質になりすぎて国民は真綿で首を絞められてるかのような生きにくい世の中になってしまいました…金銭面でなく、日本人としての人間性が閉塞感…いや!腑抜けになっているような……バブル崩壊が悪とはされてますが…そんな問題ではない…年々何かを失ってきてます…再び大らかで、住みやすい生きやすい日本は来るのでしょうか……昭和63年 1988年…良い時代でしたね…
まぁ、俺が国を動かすとなれば…、バブル期と言うよりも今よりも活気があった黄金の20世紀を取り戻す事だ…。今の21世紀には汚い金と燃えないゴミによって塗れてしまっている…。これが本当の21世紀なのだろうか…。 おっと、不謹慎な事を述べてすみませんでした…。
この特番は、VHSに保存してある。
すべて観させていただきました!貴重な映像、ありがとうございます!JR東日本大宮総合車両センターの方々、ホント素晴らしいです。オリエントエクスプレスの台車づくり、D51-498の復活作業、更にはこの当時は、C58-363の復活作業と、3つの大仕事を同時進行でやってた匠たちには、頭が上がりません…。そのほか、関係者の皆様、素晴らしいです!!!!
21世紀のこの今、再びこういうことができれば、日本も活気が溢れるでしょうね。
皆様コメントありがとうございます。
1988年が本当に懐かしく思えますね。
自分は当時学生でしたが、夢のある時代だったような気がします。
その中でもオリエント来日は自分的にはビッグイベントでしたね。
バブル時代とはいえ、オリエントを日本国内で走らせるというのは、大変な苦労だっただろうと想像します。TVで紹介された方だけでなく、携わった全ての方に改めて御礼を申しあげたいです。
ところで番組に出演されている当時JR東日本副社長の山之内さんですが、何年か前に自分が北海道鉄道旅行をしている最中、自分の前の席の方が新聞広げていたのですが、その記事の中に山之内さんが死去された記事が載っていて、大変残念に思いました。列車に揺られながらこの番組の事を思い出し、ご冥福をお祈りしました。
今お元気だったら、このような方がJR北海道の社長になってくれれば、”鉄道屋の直感と信念”で建て直してくれそうな気がするんですよね・・・。
皆様コメントありがとうございます!!
このデゴイチ、今も現役でバリバリ走っていますね。
東側の国を通ってくるんだから凄い
ちなみにヨンキュッパの補機を勤めたロクイチは上野駅出発時では力行せず、文字通りヨンキュッパの力のみであの化け物じみた重量を引っ張り出したとか····
私もそう聞きました。
スゴいッスね!
@@やすきち まぁ界隈では割と有名な逸話だし、正にヨンキュッパの花道を飾る名エピソードだしねぇ···
旅立ちはフリージア
日本の鉄道史において、今後もこれ以上の物は、もう無い。
D51498、日本代表の蒸気機関車としてオリエント急行を牽引したんだよなぁ。
懐かしく見させて頂きました。EndingのD51、蕨で見ましたが上野~大宮間、沿線はファンとD51復活を見に来られた方、地域住民の方、Orient Exoressを見ようとする方で埋め尽くされていました。跨線橋の両端、駅ホームの両端、沿線両端全て”人人人”でした。多分こんなお祭り状態、今でも無いと思います。Orient Expressと共に、昭和も過ぎ去りました。
Kara Futo様、コメントありがとうございます。そうですか、生で見られたんですね。うらやましい・・・本当に現在は夢もない時代になってしまいましたね。(おおげさかな?)さてご存知かと思いますが、日本を走ったオリエントの一員であるプルマン車(白い車両)が、箱根に帰ってきてます。私も2度観に行きまして、車内でお茶お菓子を頂きました。感激しました。オリエント好きで、ラリック美術館に行った事ない方は是非どうぞ。
このプロジェクトには当時ものすごい興奮したんだけど今ではあんまり語られることがないよね。
今なら絶対できないことなのに。もっと注目されてもいいはずだよね。
それにしても八木アナは当時20代前半なのにうまいね。
コメントありがとうございます。
本当に夢のような出来事でした…。
八木さん、今でも大好きです♥️
もし準備に遅れが出て実施が翌年に延期となった場合、この企画は幻になっていた可能性は高い。
なぜならシベリアに遅い春が到来し、特別列車の通過が可能な季節になった頃には、中国で民主化運動が勃発していた。
5月には首都北京に戒厳令が発令され、やがて悲劇的な天安門事件が発生。西側各国が中国政府の措置に対し強く非難したことも加わった事で、とてもでないが列車の中国通過許可が出る情勢ではなくなっていた。
で、西欧各国と中国との関係が改善した頃には、日本はバブル景気が崩壊しており、スポンサーなどの確保は最早困難だったと思われる。
1988年だから実現できたとしか言いようなない。
昔この番組録画してテープが擦りきれる程観てた‼️ 懐かしい🎵( ´∀`)
今ではヨンキュッパの復活を描いた非常に貴重な記録でしょう🎵
ありがとう‼️
5:36
D51498号機は、上越線の後閑駅構内で保存されていましたね。
補機もお召し牽引のEF58
テレビ屋の直感と信念で持ちかけた沼田さんに対して、
鉄道屋の直感と信念で一旦はね返した山之内副社長w
11:49
498号機はまたこの形に戻して運転してくれても良いと思います。
(形式入りプレート・スノープラウ無し・赤色のピストン)
かっこいいですよね。
私も好きな姿です。
EF58のロイヤルエンジンもいる!!
EF58のロイヤルエンジンは現在埼玉県の鉄道博物館に展示されています。
EL
ELを補機に使うことなくC62の単機でやってほしかったですね。パワーに不足はなかったはずです。
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス(NIOE)が日本に来たことを記念して、今でも日本語表記類が残ってるらしいですよ!
ありがとうございます。
そのようですね!
ただ、箱根ラリック美術館のプルマンは、表記が消されてました…(^_^;)
土居まさる!最高だよね
ですね。名司会者だと思います。
ヒントでピントとか・・・懐かしい・・・
爺さんたちが自慢だらけでこんな事したらアカンとか煩かったでしょう!若い方の胸中お察しします。